心霊スポット - オカルト情報館
大阪の心霊スポット

滝畑ダム

たきはただむ
大阪府河内長野市滝畑240

滝畑ダムは昭和48年着工し、昭和57年に完成したコンクリートダムで、緑豊かな自然に囲まれ多くの渡り鳥が飛来し、キャンプ場や釣り場などもあり年中通じて楽しめる。
そのいっぽうで滝畑ダムやその周辺には幽霊が出るといういくつかの心霊スポットがある。
とくに有名な心霊スポットは「塩降隧道」「梨の木隧道」「夕月橋」の三つ。
「塩降隧道」では、女性の幽霊や首無し幽霊が出たり、車で走っていると窓ガラスに手形がつく、カーブを曲がりきった出口に少女の霊が出るともいわれている。
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枚岡神社首洗い井戸

ひらおかじんじゃくびあらいいど
大阪府東大阪市出雲井町7

枚岡神社境内に隣接する枚岡梅林の公衆トイレの横に首洗い井戸はある。
1348年南北朝時代の話。楠木正成(くすのき まさしげ)の長子、楠木正行(くすのき まさつら)が父:楠公の遺志を継いで足利氏に対抗し本陣を構えたが、足利尊氏との戦いで敗北し、弟の正時と共に自刃して果てた。その首が洗われたのが首洗い井戸とされている。
そういったいわくからか、この場所では武者の霊が現れるという。
以前は「楠木正行公首洗いの井戸」と書かれてあったが何らかの理由があったのか現在は「楠木正行公縁の井戸」となっている。
見た感じはとくに怖い雰囲気もなく、普通の井戸。
人のいなくなった夜に訪れるとまた違った雰囲気を楽しめるのだろうか。

マルイ病院

まるいびょういん
大阪府泉南市樽井2丁目33

府道63号線「樽井北」交差点付近に円筒の形をした廃墟「マルイ病院」があり、心霊スポットとしても知られていた。
建物が円筒の形であり、壁に「〇病」と書いてあったことから「まるい病院」「丸井病院」と呼ばれ広く知れ渡るようになったが正式名称は「南海病院」。
入口はギザギザの屋根になっているこの病院には外科、整形外科、消化器科があり、昭和60年あたりに閉鎖されたようだ。
閉鎖後、中は医療器具などが散乱していて心霊スポットとして夜に訪れてくるものも多かったという。
以前は、この病院で手術をしたら絶対に死ぬとウワサされ、廃院後、廊下を歩く看護婦の幽霊を目撃した、手術室のライトが急に点灯し手術中のランプが点灯するなど怪奇現象の話があった。
また、この廃病院に訪れたさいに散乱しているカルテを持ち帰ると『カルテを返してください・・・』と電話がかかってくるという話があったらしい
しばらく放置されていたが現在は解体されて存在しない。

人面電柱

じんめんでんちゅう
大阪府東大阪市荒本1丁目1

過去にこの場所で交通事故に遭って亡くなった女性の影が染みついたといわれている電柱がある。
場所は東大阪の2号線と15号線が交差する所から東へ約500Mほど進んだ所にある「スズキ自販近畿東大阪営業所」の向かいの横断歩道の側の電柱。
この電柱を見ると、女性の顔が浮かびあがっているという。
その女性の顔は、髪が長くて目がつり上がっており日によっても表情が違って見えるのだという。
この女性が電柱から現れるなどのウワサもあるが真相は不明。
この場所に限らずだが電柱には張り紙や看板などが多く張られ、それを取り外した際には傷やノリの跡などが残ってしまうこともあり、これが顔に見えてしまうことがある。
また、雨が降った日にはシミとなってそれが顔の模様のように見えてしまう場合もあるので見分けることが難しい。

来迎寺の幽霊の足跡

らいこうじのゆうれいのあしあと
大阪府守口市佐太中町7-11-17

来迎寺には女の幽霊が自分の足跡を残した「座具」が現在も保管されている。
寛保3年(1743)7月14日、来迎寺35代の慈天上人(じてんしょうにん)のまえに一人の女の幽霊が現れ、こう言った。
「私は江戸に於いて天筆如来さまのご縁にあいましたお石というものです。病弱のため、主人が家を空け、弔いもしてくれませんのでこのように迷っているのでどうかご回向をして下さい。」
これを聞いた上人は座具を敷いて「この座具は浄土の蓮台です。ここへ座りなさい」と話した。
お石が恐る恐る座具の上に立つと上人は法名を授け念仏回向をしたそうだ。
「ご回向により迷いは覚め仏様のもとに参れます。何もございませんが、私の足跡を残しておきます」とお石は言い、消えた。
以来、この寺には幽霊の足跡の残る座具があり、寺の法要に合わせて公開されている。

一龍旅館

いちりゅうりょかん
大阪府貝塚市水間 国道170号線

大阪で心霊スポットとして知られる恐怖の廃旅館。
正式名称は「国際ホテル一龍」、3階建てでRC本館と木造別館があり渡り廊下で両棟は繋がっていた。
水間鉄道HPによると昭和13年に料理旅館「一龍」を開業、戦中の昭和18年には練成場として大阪府に強制買収とされているが、過去ウィキペディアによると昭和34年に新築。
1989年ころから廃墟化し心霊スポットとして知られるようになる。
ウワサによると昭和半ばから後期、ある経営者一家が事業に失敗して借金苦からこの旅館で一家心中をしたとか、大規模な火災が起きて多くの従業員や宿泊客が亡くなったという話がある。
また、この旅館で服毒自殺を計ったカップルがいたが女性が苦しむ姿を見て男性が逃げ出すという事件があったという話も。
そのような出来事があったからか徐々に客足が遠のいていったという。
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野間トンネル・しおき場

のまとんねる・しおきば
大阪府豊能郡豊能町野間口

妙見山から少し下ったところの野間峠にある野間トンネルはメディアに「心霊スポット」としてもとり上げられたことがあるくらい有名なトンネル。
1938年に竣工、全長は72M、幅5.5M、トンネル前後にはクネクネ道が続いていて見通しは悪いため事故も起こりやすいだろう。
このトンネルを夜中に通ると白い服を着た女性の霊が現れたり交通事故で亡くなった人の霊が出てくる、また、うめき声が聞こえてくるといった話がある。
野間トンネルの近くには江戸時代に「しおき場」があり小屋の中には慰霊碑が奉られている。
正確な情報は見つからなかったが斬首刑の公開処刑が行われたといわれている場所で、その罪人の怨念が今も残り、首のない幽霊となって現れるともウワサされている。
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リバーサイド病院

りばーさいどびょういん
大阪府堺市堺区南島町5丁

リバーサイド病院という名前の通り大阪市と堺市の間を流れる大和川沿いにあった病院。
荒れ果てた廃墟だが2000年代に取り壊されて現在は無くなっている。
リバーサイド病院に関するウワサは、過去、周囲の住民の反対運動を押し切って開業した精神病院で、死者が頻繁に出ていて、怪しげな治療が行われていた悪質経営の病院というもの。
動物実験の様に扱われて死んでいった者や、閉鎖後には残っていた向精神薬を持ち帰って精神病院送りになった者もいたとか。
そういったいわくからか酷い扱いを受けた精神病患者の霊に関する怪奇現象が報告されている。
霊に引っ張られた、カルテを持ち帰ると憑りつかれる、近くを車で通るといつのまにか霊が乗車しているなどの霊現象がある。

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交差通行用トンネルの少女

こうさつうこうようとんねるのしょうじょ
大阪府吹田市江坂町3

大阪箕面市から大阪市内へ伸びる国道423号線吹田市で名神高速道路と交差するポイントがある。
そこより西側に50メートルほど行った高速高架下の小さな交差通行用トンネルに少女が出るというウワサがある。
昼でも薄暗く人気の無い所で、深夜1時過ぎドライブに出かけ何気なく携帯カメラで撮影したところ、オカッパ頭で額から血を流している顔が大画面で撮影されたという体験談もあるようだ。
また、このトンネルを歩いていると向こう側から女の子がやってきて、ぶつかると自分の体をすり抜けてしまうとか、いつのまにかその女の子の霊と手をつないでいて戸惑っている間に消えてしまうという。
場所は情報から推測すると江坂町3丁目と思われる。探してみると国道423号と交差する名神高速道路下の西側へ50Mほど先にとても小さいトンネルが確認できるがここであっているのだろうか。おどろおどろしい雰囲気はなく綺麗なトンネルである。
あらかじめ心霊現象が起こると聞いていて、尚且つ夜の暗い時間帯に来てみると恐ろしくも感じられそうだ。
一部の人たちのあいだでは知られているようだが情報がローカルすぎるためか県外には広まっていないようである。

千日前周辺の怪現象

せんにちまえしゅうへんのかいげんしょう
大阪府大阪市中央区千日前

ここは江戸時代1615年に町内の墓地を整理して刑場、墓地、焼場などが置かれた。やがて見世物小屋や茶屋などが集まる町となり明治時代1870年に刑場は廃止され千日墓地は移転となった。
そして商業地として発展するが1912年に「ミナミの大火」によって焼失し、この地にあった遊郭は移転して消滅。
第二次世界大戦後、空襲で一帯は再び焼け野原と化したが、再び演芸街・飲食店街としての復興を果たす。
1958年に大阪歌舞伎座が移転し、空いた建物は「千日デパート」となったが1972年に千日デパート火災が発生し一酸化炭素中毒や飛び降りなどで118名にのぼる死者を出す。
その後しばらく焼け跡は放置されていたが建物は取り壊され「プランタンなんば」が建ち、現在は「ビックカメラなんば店」となっている。
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大泉緑地

おおいずみりょくち
大阪府堺市北区金岡町128

1941年の防空緑地計画に由来する大阪四大緑地のひとつ。
1945年、敗戦により中断されたが1968年に「都市の中の森林」というコンセプトのもとマスタープランの公募を呼びかけられ1969年に着工し1972年に開設した。
32万本もの樹木が植えられサイクリング、バーベキュー、バードウォッチングなどもできる。
アスレチックといった児童遊技場もあることから家族連れも多くのんびり過ごせる公園となっているが、夜になると一変し不可解な現象が起こるともいわれている。
大泉緑地のアスレチック辺りには黒いスーツを着た男性の霊がたびたび目撃されてるようだ。
夏には水遊び場としても楽しめる噴水、そのすぐ横の林の中では何回か首吊り自殺があったとウワサされ、夜に行くとぶらさがっている黒い影が見えることがあるという。
真ん中あたりにある大きい池周辺には犬を連れた幽霊が出るという話もある。

源氏の滝

げんじのたき
大阪府交野市東倉治2丁目15-1

源氏の滝は交野山の麓にあり、白旗池を源流としている高さ18Mの滝。
崖崩れの影響からか「落石注意 立入禁止」の看板が立てられて中には入れないようになっている。
滝の名前の由来は、その昔近くに開元寺という寺院があったので元寺滝と名付けられ、元寺が源氏に変わってしまったという話。
周辺には広葉樹の自然が広がり、風流な苔岩が神秘的な空間を生み出している。かつては修験の場でもあり、お不動様が奉られているが、この場所は心霊スポットとしても知られている。
ここでは夜になると事故死した子供の霊が滝の前に現れるというウワサがある。
過去に、深夜ドライブ中ここの近くに車を止めて車内で会話していた所、いきなり車に「ドン!」と何かがぶつかる音がして辺りを確認してみたところ女の霊が車のわきを通り過ぎ消えたという体験談もあるようだ。
ここには夜泣き石という石があり源氏姫が悲しみのあまり、滝壷に身を投げてからこの石が泣くようになったという。
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ほととぎす旅館

ほととぎすりょかん
大阪府阪南市山中渓1250

正式名称「山中渓温泉旅館ホトトギス」、1931年に開業されたほととぎす旅館は、阪和館・山中荘・元禄・つるのや一軒不明の六軒が存在していた。
以前この一帯は温泉街となっていて、山中渓温泉は昭和30年代には「大阪の奥おく座敷ざしき」とまで言われ賑わいを見せていた地区だったが現在は全て廃業になり取り壊された。現在この旅館の一部だけが残っているが崩壊がすすんでいる。
ウワサでは借金苦に苦しんだ経営者が自殺したため廃業になったともいわれている。
廃墟となったほととぎす旅館では浮浪者が死亡していたという話もあり心霊スポットとしても有名な場所となっている。
具体的な心霊現象の情報は少ないが、白い影や白い服の女性が出るという。自殺のウワサもあるため、やはり女将の霊が霊体となって姿を現わしているのだろうか。

生駒トンネル

いこまとんねる
大阪府東大阪市日下町1丁目

現在生駒トンネルは新生駒トンネル(全長3494m)生駒トンネル(全長4737m)旧生駒トンネル(全長3388m)の計3本の鉄道のトンネルがある。
新生駒トンネルの開通により1964年に生駒トンネルは鉄道トンネルとしての使用を終えた。
その後、奈良線の旧トンネルを一部再利用する形でけいはんな線の生駒トンネルが1986年(昭和61年)に開通している。
幽霊トンネルとして有名な生駒トンネルではトンネルを掘るのに沢山の朝鮮人労働者が駆出され事故により亡くなった。 また、開通後も事故が多く起こっている。
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堀河ダム

ほりごだむ
大阪府泉南市信達童子畑

堀河ダムは1971年に竣工されたコンクリート重力ダム。
周囲は山で囲まれ、夏は新緑、秋は紅葉が見られ、春には約500本の桜が乱れ咲き花見客で賑わい「大阪みどりの百選」にも選ばれている。
そんなダムだが入水自殺や死亡事故が多く、地元でも有名な心霊スポットとなっている。
過去にはダムの付近の路上に車を停めて練炭による集団自殺もあった。
ダムでの心霊に関するウワサでは、一人の妊婦がダムから身投げ自殺をした、それ以来、深夜になるとダムの直立するコンクリートの壁をよじ登ろうとする裸の赤ん坊の姿が目撃されているのだという。
霊体となって母親を探し続けているのだろう。

貝塚結核病院

かいづかけっかくびょういん
大阪府貝塚市地藏堂1175

貝塚結核病院は1948年に設立され、1992年に閉鎖された廃墟。
正式名称は「大阪市立少年保養所」。小児結核に罹患した子どもが学業を中断することなく療養できるように設置された学校で、1948年、保養所内に付設貝塚学園を設置したのが学校のはじまり。
1967年には、泉大津市にあった小児喘息など病弱児対象の養護学校・大阪市立助松養護学校を統合し、これに伴い、大阪市立少年保養所に喘息児病棟(つくし寮)を設置。喘息児や自律神経失調症などの生徒も受け入れていた。
1992年、小児結核の減少などに伴い入所対象の児童生徒が減少したため、大阪市立少年保養所は閉鎖。
大阪市立貝塚養護学校も市の方針により2009年3月限りで閉校となった。
廃校となった不気味さからなのか、いつしか心霊スポットと呼ばれるようになるが、これといった心霊的情報はないようだ。
2014年ころから解体作業が始まり現在、建物は解体され、跡地にはイタリアンレストランができている。窯焼きピッツァが人気だという。

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